まりりん日記

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...... 2013年09月18日 の日記 ......
■ 無知と貧困の間で   [ NO. 2013091801-1 ]

獄中で書いた「無知の涙」はベストセラーになった

 

昔それを読んでいた

 

19歳で4つの殺人を犯した永山則夫

 

なんとなく貧困が生んだ犯罪者と思っていた

 

彼は3歳のころ

 

網走に置いていかれた

 

母親は兄弟のうち小さい妹達を連れて

 

次男、三男、そして小さい則夫を

 

極寒の網走に文字通り置いて青森に帰ってしまった

 

その時、

 

母親は後ろ髪を引かれる事もなく

 

人に責められてもむしろぽかん?としていたらしい

 

なぜならば

 

1週間分の食べるものを置いて行っていたから・・・。

 

 

鑑定をつとめた医者が持っていた膨大な録音の資料

 

その中から

 

今まで知りえなかった真実が掘り起こされていく

 

いたいけな幼い子ども達を置いて行った非道な母親

 

その生涯がやがて明らかになる

 

 

永山則夫はその極寒の地で大人に棒でたたかれたり

 

ゴミ箱をあさったりしてその冬を越した

 

優しかった姉はある日いなくなる

 

彼女は家族の犠牲になり、婚約者から破談を申し渡され

 

精神を病み、

 

則夫の前から忽然と姿を消す

 

そのことについて、もちろん、誰も説明もフォローもしてはくれなかった

 

誰から優しくされることも

 

暖かい寝床を用意されることも

 

それどころか食べ物を用意されることもなく

 

なにより、愛に飢えて育ったのだ

 

 

このところ、

 

同じように育てても育てにくい子どもがいるように

 

人間の性格は案外環境と言うよりも

 

先天的なものが多いのでは?

 

と思っていた

 

でも、

 

違った

 

虐待やネグレクトを受けた子どもには

 

一部脳の萎縮が見られるらしい。

 

三つ子の魂は、やはり、百まで!

 

なのだ

 

母親の人生を聞いて

 

獄中の則夫は泣いたそうだ

 

もし、その壮絶な悲惨な子ども時代を知っていたら

 

自分は人を殺さなかったとつぶやいたそうだ

 

 

鑑定をした石川医師は

 

貧困だけではない何か原因があるのではと思い出した

 

則夫の苦しさは家族、特に兄弟に向けたものではないかと

 

気がついたのだ

 

つまり

 

「兄弟を困らせるための犯罪」では?と。

 

 

鑑定を受けた時のように素直に人生を顧みる事ができたなら

 

もしかしたら、判決は違うものになったのだろう

 

石川医師はもう二度とこの辛い作業を引き受けることは

 

なかったと言う

 

 

貧困と無知にまみれた人生、

 

でもきっと彼に一番足りなかったのは

 

優しく抱きしめてくれる誰かの腕だったのだろう

 

 

 

 

 

 

 


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