水戸徳川家の当主の話を聞いた 江戸幕府、最後の徳川家15代将軍になってしまった慶喜は もともと水戸家の人 大政奉還をしたと言うことで ある意味有名な将軍だけれど 大河ドラマ篤姫や、司馬遼太郎の小説などでは 優柔不断でなさけない描き方をされている 彼があんなに簡単に大政奉還をしたのには どうやらあの人の力が関わっていた・・・らしい あの有名人 ♪じぃんせい楽ありゃ、苦もあるさぁ〜♪ この印籠が目に入らぬかあ〜っ!! ってあれ 水戸黄門さま 水戸光圀は大日本史の編纂をした歴史家でもある やがてそれは水戸家のライフワークとなり 結局それができあがったのは なんと、明治39年だった! 水戸黄門は日本史を客観的に考えようと 全国から資料をとりよせた、そして、 ある結論に達した ↓ わが君主は天子 つまり御三家でありながら水戸家には脈々と 皇室に対しての敬意が受け継がれていたのだ 慶喜が案外すらりと驚くほど簡単に大政奉還をしてしまうのには 黄門様の力が働いていたっていうわけだ 奥様が会津出身で 夫婦けんかをすると、奥様に言われるのだそうだ 「ふん、たかだか35万石のくせに」 さらに 「あたしんところなんて、最後まで闘ったのに あなたのところなんてすぐ大政奉還しちゃって」と ののしられるのだそうだ 徳川本家の当主とは職場が近く ラーメン屋さんで会うこともあるそうだ ラーメンを食べている徳川のお殿様の横で これみよがしにチャーシューメンを食べるのだそうだ なんか可笑しい 現代のお殿様 ちょっと 謙虚で どこかかっこいい♪ お話を聞いたあと、足を伸ばして椿山荘へ 椿山荘は明治の重鎮 山県有朋の屋敷あと 15代将軍慶喜とは同時代の人 Content-Disposition: form-data; name="image"
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