小さい頃 かいごんぼち で遊んでいた 「かいごんぼちであそぼ!」が合言葉だった 絵日記には、いつも かいぐんぼちと赤く添削されていて 軽くむかついていた かいごんぼちなのにぃ〜 そのうちわかった かいぐんぼちだった 海軍墓地・・・ 佐世保の軍港が見下ろせるなだらかな丘陵地の広々とした所
司馬遼太郎の「坂の上の雲」第4巻を読んでいる 明治時代、日露戦争の頃の話 正岡子規の親友の秋山真之とそのお兄さん秋山好古は日露戦争で 抜群の働きをする
結局勝ったけど そうとう綱渡りだったらしい もういやと言うほど乃木将軍の無能ぶりが出てくる 来る日も来る日も 乃木将軍のあほで、まぬけな 作戦が続く・・・ なにしろ驚いたのはこの一節 「たとえば日本陸軍は作戦をはじめるにあたって準備したのは 砲弾ではなく1万個の骨箱であった」 司馬遼太郎はこの陸軍の体質は第二次世界大戦が終わるまでついにその 本質を変えなかったと嘆く 遠いとおい頃のはなしだ 私がこどものころすでに苔むして整然と並んでいた墓標 その間をまつぼっくりの弾で戦いごっこをして遊んでいた・・・そこに 日露戦争を戦った人々が眠っていたのだった
つい、昨日 それに思いついた! かいごんぼちは 日露戦争の海軍の墓地だったって事に・・・!
配偶者も子どもの頃の遊び場が海軍墓地だったらしい かいごんぼちって言ってなかった?と聞いたら はあ、海軍墓地でしょ?って 私ひとりだけなまってた?? しかも彼は小学生の時そこの石碑の文を読んで ここは日露戦争で亡くなった人たちの墓地と言うことを すでに知っていたらしい (私が鼻をたらして走り回ってかいごんぼちを連呼していた同じ頃ね)
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